パリコレクションで発表してきた日本人デザイナーズブランド一覧【2026年版】

· 山崎恭平(ONDO編集長)
パリコレクションで発表してきた日本人デザイナーズブランド一覧【2026年版】

Image by: kolor

日本人デザイナーがパリのランウェイに立ってから、40年以上が経つ。1981年の「黒の衝撃」以来、日本のブランドは一貫してパリという舞台で存在感を示し続けてきた。ここでは、ONDOが取材・調査の過程で活動歴を確認できたブランドを、時系列で整理する。

すべての起点:1981年「黒の衝撃」

日本人デザイナーのパリ進出の原点は、1981年に遡る。Yohji Yamamoto(山本耀司)とCOMME des GARÇONS(川久保玲)が同年のパリ・コレクションに初参加し、黒を基調にアシンメトリー(左右非対称)で未完成的なシルエットを提示した。西洋の伝統的な美意識とは対極にあるこのデザインは「黒の衝撃」「ヒロシマ・シック」とも評され、パリのモード界の価値観を塗り替えた。この一件が、以降の日本人デザイナーズブランドがパリを目指す下地を作ったと言っていい。

現在もパリで発表を続けるブランド

kolorは2012年にパリコレクションへ参加して以降、異素材のハイブリッドという独自の手法をパリの舞台で発表し続けている。sacaiは2009年10月からパリ・ファッションウィークでウィメンズコレクションの発表を開始し、以降パリを主戦場としてきた。White Mountaineeringは2015年からパリコレクションに参加し、アウトドアとストリートを融合させる作風を発信している。

FACETASMは2017年春夏からパリコレクションでの発表をスタート。AURALEEは2019年にパリ・ファッションウィークへ初参加し、生地開発を軸にしたミニマルな服作りで評価を高めた。CFCLはパリ・ファッションウィーク公式スケジュールでのショー開催を続けており、無縫製ニットという独自技術を世界に発信している。doubletは2018年にLVMHプライズでグランプリを日本人として初受賞し、現在もパリでコレクションを発表している。

パリでの発表歴を持つブランド

UNDERCOVERは2002年にパリコレクションへ進出し、パンクとサブカルチャーの精神を軸にしたコレクションで世界的なブランドへと成長した。N.HOOLYWOODは2007年7月にドレスライン(現COMPILEライン)をパリコレクションで発表し海外進出を果たしたが、2010年以降は発表の場をニューヨークへ移している。Maison MIHARA YASUHIROは、靴デザイナーとして培った技術とパリコレクションでの経験を融合させたものづくりを続けてきたブランドだ。visvimは伝統的なランウェイショーは行わないが、2009年以降パリでの展示発表を通じて海外での評価を高めてきた。

なぜパリなのか

東京コレクションという発表の場がありながら、多くのドメスティックブランドがパリを目指すのには理由がある。パリ・ファッションウィークは世界のバイヤー、プレス、そして顧客が一堂に会す場所であり、そこでの評価がそのままブランドの国際的な立ち位置を決める。日本国内での評価と、パリでの評価は、まったく別の重みを持つ。

一方で、N.HOOLYWOODのようにニューヨークへ軸足を移すブランドもあり、「パリが唯一の正解」というわけでもない。どの都市を選ぶかも、ブランドの思想を映す一つの指標として見ると面白い。

各ブランドの詳しい沿革やアイテムの特徴は、ブランド辞典の個別ページで確認できる。

FAQ

Q. パリコレクションに参加している日本ブランドはどこ?
A. kolor、sacai、White Mountaineering、FACETASM、AURALEE、CFCL、doubletなどが、パリ・ファッションウィークの公式スケジュールで発表を続けている(本記事作成時点で確認できた範囲)。
Q. 日本人デザイナーが初めてパリコレクションに参加したのはいつ?
A. 1981年、山本耀司(Yohji Yamamoto)と川久保玲(COMME des GARÇONS)が参加し、黒を基調にしたアシンメトリーなデザインが「黒の衝撃」としてパリのモード界に衝撃を与えた。

※掲載内容は公開時点で確認できた情報に基づきます。価格・取扱状況等の最新情報は、各ブランドの公式発表をご確認ください。